GWの思い出(肩の故障)

ピアノ教室

千葉県松戸市常盤平のピアノ教室です🎹

前回に引き続き、私のバックグラウンド(黒歴史)をご紹介します。

私のバックボーンとなる経験です。

ケガの話が出るので重たくならないように、極力サクサク読めるようにライトな口調で綴ります。

自分のことですので強めに弾劾して自虐しますが、自分の生徒さんに同じことを要求することはございませんので、ご安心くださいませ。m(__)m

小学校5年生の今頃、私はとあるコンクールに向けて練習を開始しておりました。

課題曲は

モシュコフスキー:20の小練習曲Op.91より7番、14番

J.S.バッハ:シンフォニア13番、14番、15番

このラインナップで同業の方ならピンとくるでしょう。

そうです、全日本学生音楽コンクール、通称毎コン(現:学コン)です。
※日本で最も歴史と権威があり、予選を通過するだけでも『神童』と呼ばれるような大会です。

ガチなやつです。予選だけでも上記の5曲を練習しないといけません。本番は夏休み明け。

モシュコフスキーは指動かないし、バッハは3声を3曲だし(当時は本番1ヵ月前に1曲のみに絞られ告知される形式でした)、テクニック面が重視され抒情性で誤魔化すことが出来ない課題ばかりです。

これは現在も変わらない傾向のようです。

私はテクニシャンではないのに、なぜか期待をかけられ、練習をしていました。

当時の練習方法はとにかく量をこなす千本ノック状態で、壊れたスピーカーのようにリズム練習を何時間も繰り返したり、バッハのシンフォニアも分析するより体当たりで身体で覚えこむ感じでした。今考えれば非効率でしたね。

そして夏休み合宿中、ついに限界が訪れました。

肩を痛めました

ガクンと肩が落ちる感じで、激痛が走りました。

5分経っても10分経っても、痛みは消えません。

パニックになりつつ30分我慢して、大人を呼びました。

病院に運ばれました。

首から肩、背中にかけて、炎症を起こしていました。

先生からは

「大丈夫やった?姿勢が悪かけんたい!!」(大丈夫だった?姿勢が悪いから故障をしたのよ!)

と注意されました。

治療しながら練習は続けたものの、気持ちはもう折れかかっていました。

本番、痛み止めを使いながら臨みましたが、結果は自爆でした。

なんとバッハで止まってしまいました!!これはあり得ない(笑)!!お話になりません。
(現在の自分が当時の自分を評価するとしても、当然この結果になるでしょう。)

そもそも、ここで勝ち上がっていく人たちは、レベルが違いました😅

レベチですよレベチ(爆)!!

私だって学校では無双していたのに(恥)!
日本ピアノ教育連盟のピアノオーディションでは受賞できていたのに(恥)!

肩が痛いだの、指が動かないだの、3声が難しいだの、泣き言言っている甘ったれは私くらいで、みんな超真剣でストイックでした。

舞台袖でも、指を鍛えるための謎の重り(拷問器具みたいに見える!)をつけて指をガシガシ動かしていたり、音消ししたメトロノームを目で追いながら直前までシミュレーションしていたり、鬼気迫りすぎて怖かったです。

この時、音楽の道に進むことはありえないだろうと思いました。

たかが予選程度で肩を痛め、周りのレベルに驚愕しているわけですから、敵うわけないです。

あの場で輝く人たちは、凄かったですね…。

サイボーグかと思うくらい、ミスする気配が全くない。

本当に同じ小学生なのか?と思いましたもん。

ここでポッキリ心が折れまして、2か月後にエントリーされていたらしい(毎コンでは勝てないと踏んだ先生と親が勝手に話を進めていた、笑)日本ピアノ教育連盟のピアノオーディションの方はお休みしました。

日本ピアノ教育連盟の方は普段から弾いていたメンデルスゾーンの無言歌集が課題曲だったので、頑張れば出場そのものは出来たでしょうけれど、もう頑張れませんでした。

学校も毎コンのために休んだりしていたので(昭和~平成初期のピアノあるあるです)クラスメイトから無視されたり白い目で見られたり、散々でした。

もうモチベーションを保てなくて、一旦勉強にシフトしました(笑)。

挫折した結果が、なんとも平和な軟着陸😂

ピアノレッスン自体は続けていましたが、積極的な練習はあまりせず、勉強しているふり(笑)。

勉強している分には誰も文句言わないですし、学力もついて一石二鳥です。

高校~大学で高偏差値集団に紛れることが出来たのは、この時の経験が物を言ったと思います。

翌年以降も毎コンは懲り懲りでしたので、二度と受けませんでした(笑)。

ここでピアノからコースアウトするかと思いきや、毎コンでの練習の成果で前より指が回るようになったので(笑)、案外ピアノを楽しめました。

文字通り怪我の功名です。

協奏曲に挑戦したり、様々な時代の曲に触れることが楽しくなったり、可能性はいくらでも見出せました。

音高に行く行かないという話も出ましたが、家庭の方針が勉強系でどうにかするということだったので、高校は進学校を選びました。

進学先の福岡県立福岡高校ではピアノをそこそこ上手に弾けちゃう人は多かったです。

当時の習い事の定番でしたし、教育リテラシーの高い家庭ではピアノを習わせることが多く、進学校へ進学するような生徒は元から努力家で練習熱心なので、結果的に弾ける人が多いのです。

そこでピアノを教養として楽しむという可能性も見出しました。

そして何だかんだで慶應商学部へ進学し趣味としてピアノを再開し、卒業後は一旦一般企業に就職します。

しかし就職活動時の自己分析の結果

やっぱりピアノを仕事にしたいなと。

大いに遠回りしましたが、結局原点回帰することになったのでした。

会社員をしながら指導グレードを取り虎視眈々とタイミングを狙い、切りのいいところで転身しました。

音大卒ではありませんが指導グレード取得により音大卒相当と判断され、カワイの採用試験も顔パス状態で受かりました。

日本国憲法第22条1項「職業選択の自由」を振りかざして戦略勝ちです。

小5の時点で音楽の道に進むことはありえないと思ったはずが、カワイではグレード審査員までやっていたのですから、人生分からないものです。

大人になってから和声や楽曲分析を学び、ピアニストや作曲家の先生に師事し、音楽を構造的に捉えて演奏に落とし込むということも学びました。

これによって私の提供するレッスンは、頭を使って攻略することを可能と定義し、生徒さんの特性を生かす方向で長期的に見守り、軌道修正していくタイプとなっていったのでした。

小5の頃の私のように無理をして身体を壊すような悲劇を繰り返さないように、日々生徒さんの様子に気を配っています。

やっぱり音楽は楽しい、ピアノは楽しい、と思ってほしいですから😊

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